ティーナ・カリーナ

シンガーソングライター ティーナ・カリーナ Debut... 2012.9.12 Debut Mini Album「ティーナ・カリーナ」

●アーティストとミニアルバムの紹介

一瞬、洋楽?それともバンド?と勘違いする人もいそうなユニークなアーティスト名とは裏腹に、デビュー前にもかかわらず問い合わせが相次いでいるという『あんた』は、現代版『悲しい色やね』と言いたくなるような全編大阪弁のアクの強いラブソング。……と、デビュー前から不思議なインパクトを放つティーナ・カリーナだが、その素顔は、生まれ故郷の大阪で地道に、堅実に歩みを重ねてきた女性シンガーソングライターだ。父親は関西二期会に所属するオペラ歌手で中学校の音楽教師、母親はピアノとエレクトーンの講師。特に英才教育を受けたりはしなかったようだが、中学高校と6年間にわたって吹奏楽部に所属と、音楽はつねに身近な存在。一方、歌についてはカラオケで歌う程度だったものの、中学3年の頃、彼女の歌好きを見抜いた母親から「歌とか習わんでいいの?」と勧められたのを機に、音楽人生が本格的にスタートしたのだという。
「歌うのが好きというより、歌を聴いてもらって『いいね』と褒められるのが好きだったんです。だからカラオケでも、私が歌っているときに友だちが曲を選んだりお喋りをしたりしてると、すごくイヤでした(苦笑)。ただ、その頃はまだ歌手になりたいと強く思っていたわけじゃなかったので、自分から“歌を習う”という発想もなかった。なので母親に勧められたのがきっかけになりましたけど、習って良かったですね。音楽の幅がかなり広がったし、友人とオリジナル曲を作るようにもなったんです」
通っていた音楽スタジオの仲間とユニットを結成したのはハタチの頃。昼は百貨店で海老せんべい販売のバイト、夜は夜間大学に通いながら、ギタリストの友人とライブをしたり曲を作ったりするようになったのだという。但し、この時の曲作りは「ライブをやるためには曲がなくちゃ」という物理的な必要性がモチベーション。それが変わってきたのは大学を卒業後、週1ペースで続けていたライブで、お客さんから「歌詞がいい」と褒められてからだ。
「私、褒められるとやる気が出るタイプなんです(笑)。というか、それまでは歌詞に自信がなかったんですね。たとえば、私が誰かを励ましたいと思って歌詞を書いたとしても、すごく悩んでる人は『あなたに何がわかるのよ?』って思うかもしれないじゃないですか。そこを超えられるだけのボキャブラリーが自分にあるとは思えなかったんです。でも、友だちの悩みを聞いたりすると、やっぱりその子に向けて歌詞を書きたいと思うし、そういう時には自分でも『いいな』と思える歌詞が書けるんですよね。そうやっていろいろと書いているうちに、だんだん歌詞を書くということがわかってきたんです」
曲を作ってはライブを行い、「もっとたくさんの人に聴いてもらいたい」という気持ちが増すに従って、時には地元の音楽コンテストにも出場。入賞することもあった。それでも、期待するような“展開”はないまま、気がつけば25歳に……。
「ある日、おじいちゃんにいきなり『結婚せえへんのか?』って言われたんですよ。その時に、私はもうそういう歳なのか!って初めて自覚して。いつまでも21歳とか22歳の気持ちでいちゃダメだ、いつまでもだらだらとバイトをしてちゃダメだ、本気で将来を考えなきゃと思ったんです」
思い立ったが吉日、すぐにデモテープを50本用意し、有名どころの音楽事務所へ手当たり次第に送付。これがちょうど2011年の3月……そう、東日本大震災の直前だった。
「えらい時に送ったなあと思いました。私自身、送ったことを忘れそうになりましたもん。テレビで東北の映像を見ては、大丈夫かなあ……と思って。そうしたら5月に仙台の音楽事務所から連絡が来たんです。仙台といえば地震の被害が大変だったところの一つじゃないですか。びっくりして。で、『一度ライブをしに来てほしい、仙台に来られますか?』と言われて、すぐに行って、事務所のみなさんに初めてナマで歌を聴いてもらって。『じゃあ一緒にやりましょう』ということになったんです」
仙台の音楽事務所とは、MONKEY MAJIKやGReeeeNらを輩出したエドワード・エンターテインメント・グループ。聞けば、デモ音源を聞いた事務所のプロデューサーが彼女のまっすぐな歌声に惚れ込んだのだという。だがもちろん、ここでメデタシと安心するわけにはいかない。レコード会社が決まるまでは大阪でバイトを続けながら、曲作りの千本ノック。なかなか朗報が届かないことに不安を過ぎらせながらも、ギタリストの相方と徹夜をしつつ曲作りに励む毎日は、精神的にも肉体的にも、これまでのなかで一番キツかったそうだ。
「歌詞もだんだん書くことがなくなってきて、『夢を目指してがんばるぞ~!』みたいなことばかり書いてました(苦笑)」
そして今年3月。ついにレコード会社が決まり、仙台に拠点を移動。名刺代わりのファースト・ミニアルバム『ティーナ・カリーナ』も完成し、今やデビューを待つばかりとなったわけだ。

ここまで彼女のプロフィールを駆け足でご紹介したが、では「ティーナ・カリーナというアーティストの一番の魅力はなにか?」と訊かれたなら、私の答えは前出のプロデューサー同様、“歌”である。彼女はいわゆる、個性的な声質や独特の歌いまわしで売るタイプではない。歌唱スキルをきっちりと身につけたヴォーカルは、そういった個性の主張よりもむしろ、曲に込められた思いをいかに表現するかという、その一点に全神経が注がれている。届けたいという一途さ、懸命さ、熱意がストレートに伝わってくる。
「スッと入ってくる声ですねって言われることが多くて、以前はそう言われることがイヤだったんです。特徴のある声に憧れたりもして。でも、“スッと入ってくる”というのは文字どおり、聴く人の心にスッと入れるということなんだと思うようになったんです。私は矢野まきさんが好きで、矢野さんの歌を聴くと条件反射的に涙が出てくるんですね。どうしてなのか説明ができない。理由もわからず、ただただ涙があふれてくる。私もそういう歌をうたいたいんです。聴く人の心と身体にスッと入って、心臓のあたりをぶわ~っと揺さぶりたい。それが私の願いなんです」
震災後の大変な状況、ともすれば音楽に耳を傾ける余裕さえない厳しい状況下において事務所のプロデューサーの心を動かした歌声……といえば、もうそれ以上の説明は不要だろう。
さらに、個人的には彼女が書く詞にも期待をしている。ふだんは「超がつくほどポジティブで、ホントは気づいてほしいことがあっても絶対に口に出して言えないタイプ」だそうで、胸のうちを歌詞としてさらけ出すことにもまだまだ照れがある様子。だが、遠恋の寂しさ恋しさを延々と綴りまくった『あんた』や、強がりな自分の本音をわかってほしいと歌う『みつけて』あたりに、リリシストとしての彼女の本音や方向性が現れているように思う。
そしてもう一つ、「まったく緊張しないんです」という肝の据わったライブ・パフォーマンスについても触れておこう。オリジナル曲を作り始めてから毎週のようにライブをやっていた彼女のステージでの集中力は、すでに新人の域を超えている。先日もあるアーティストの野外コンサートが生憎の雨で、前座を務める彼女としては非常に厳しい状況だったにもかかわらず、お客さんは席をたつでもお喋りをするでもなく、傘を差しながら彼女の歌声にジッと耳を傾け続けていた。ぜひ一日も早くフルスケールで彼女のライブを観てみたい。

さて、そんな彼女からまもなく届けられるセルフタイトルのファースト・ミニアルバム『ティーナ・カリーナ』。この作品が完成するまでには、先に述べた千本ノックのような曲作り期間があったわけだが、その経験は彼女をアーティストとしてグンと成長させたようだ。
「メジャーでやるというのは売れる曲を作ることだと思い込んで、もっとポップに、もっとキャッチーにということしか考えられなくなった時期があるんです。そういう曲を作っては事務所の人に聴いてもらって。ところが仙台に引っ越して、アルバムに入れる曲を具体的に選び始めると、スタッフの方々が選ぶのが、アマチュア時代に作った曲だったり、肩の力を抜いて自然に作った曲だったりしたんですね。ああ、やっぱり自分たちらしい曲が必要とされるものなんだと、改めて確認しました」 
デビューが決まってからCM曲として書き下ろし、彼女自身の“始まり”ともリンクする『輝いて』や、大阪時代から慣れ親しんできた切ないラブソングの『帰り道』『あんた』、東日本大震災に衝撃を受け、心救われる歌をと書いた『むすんで ひらいて』など全7曲。「一人でも多くのひとに聴いてほしい」という希望の向こうには、「聴いてくれる人に『私の人生の転機にはティーナ・カリーナの歌があった』と言ってもらえるシンガーになりたい」という大きな夢もある。ティーナ・カリーナ、ただいま26歳。仙台発、浪花娘の熱いアーティスト人生が幕を開けた。


●「あんた」解説

“謎の関西弁泣き歌”として歌詞検索サイトなどでも注目を集めている、遠距離恋愛の寂しさを歌った『あんた』。聞けば、あるイベントでこの曲を聴いた大阪のおばちゃんは、歌が終わるなり彼女のもとに駆けより、「んもう、彼に会いにいったらええねん!」とボロ泣きしながら言ったとか。本当のところ、これって実話なの!?と彼女に訊くと、「実は……」とこんな答えが返ってきた。
「実際には遠距離恋愛をしていたわけじゃなくて、長く付き合っていた彼氏との関係がマンネリ気味になってたんです。いい人やし、優しい人やったから、めちゃくちゃ不満があったわけではなかったんですけど、心がちょっと離れていたというか。今思えば寂しかったのかもしれないですね。ただ、曲を作った時に彼氏のことを思い浮かべていたかというと、ほろ酔いだったこともあって、どうやって曲ができたのかあまり憶えていないんです(苦笑)。当時、ギタリストの相方とユニットでワンマンライブをやっていて、自分たちが成長するためにと、毎回ソロのコーナーを設けていたんですね。で、相方にも内緒でオリジナル曲を作ろうと思ったもののライブのギリギリまで曲ができなくて、ある夜、お酒でも呑んだら作れるかもしれないと思って、梅酒を呑んだんです。でも、ふだんはあまり呑まないからすぐにぽやぽや~っとなって、なんだか無性に寂しい気持ちにもなっちゃって。それで、ほろ酔いのまま部屋のキーボードを弾いていたら、いつのまにかできあがっていたんです。『あらら、大阪弁の曲がてきてもうた!』という感じだったんですよね」
なるほど。『あんた』はどうやら、彼女の深層心理が書かせた曲というのが正解のようだ。ちなみに、できあがった直後は「大阪弁で弾き語りなんてネタみたいで恥ずかしい」と思っていたらしいが、いざライブで演ってみると大好評。今では彼女自身、自分が本当に遠恋をしていたような錯覚に陥るほど、しっくり来ているという。
「こういう寂しさとか恋しさって、遠距離恋愛じゃなくても通じる部分ってあるじゃないですか。歌うごとに感情がこもるようになって、今ではもうすっかりノンフィクションです(笑)」

ライター 河野アミ

ティーナ・カリーナ オフィシャルサイト

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